本来は、我慢も、遠慮も、配慮も知らないままの子ども
言いたい事は言い
聞きたい事は聞き
やりたい事はやりたいと言い
欲しい事は欲しいと言いう
それが、本来の子ども
その本能のままに動いてる時期から
育ての中で、制約を覚えていく
我が侭は、良くない事だから
制約の中で、いろいろと自制していく事を
身に付けていくのは良い事だけど
制約、自制の建前で
子どもの自己主張を駄目にしている事が多々ある
「拒否と否定」
子どもの言う事を聞かないで
頭から、拒否したり駄目と言う
言う事を聞かなければ、叱る
失敗しても、フォローしない
そういう育て方をされた子どもは
萎縮する
そして、自己主張の出来ない子どもに成る
性格の因子もあるが
性格のほとんどが、育ちの環境に因って形成されてる気もする
子どもの言いたい事をきちんと聞く
子どもの主張を理解する
子どもが失敗しても応援する
そして、叱るのでなく諭す
叱るは、相手の事を思って諭す事
怒るは、自分の感情でする事
この違いも大切である
主張は、聞くけど・・・それは・・・だよと導く
失敗しても、フォローして励ます
それが、大切
子どもの時に、拒否、否定された人は
なかなか、自己主張出来なくなる
なぜなら、自己主張すると拒否され
失敗すれば否定される
自己主張出来ないと言う事は、自分に自信が無いと言う事
自己卑下の始まりとなる
自分の思ってる事が言えなくなると言う事
とても、不健全である
いつも、心に不平不満がある
それは、健全な人間性の育成にとって
大変に尾を引くものだ
大人に成っても、なかなか治らない
思春期で、もう一度形成のチャンスがあるが
それは、大人への一歩としての関門であり
それは、自分の選択
選択と言う範囲の無い子ども時代は、超自我の育成時
大切な時期である
拒否・否定の心のダメージを
与えないように気をつけなければならない
子どもにとって、大人は絶対の存在
絶対の存在からの拒否・否定は恐怖である
恐怖に合わないように、自己を制御して
自己主張が出来ない人間になってしまう
表面上の良い子は、扱い易いが
本来の子どもではない
子どもは、扱い難いものなのが根本である
ただし、それを越える愛しさもある
その愛しさに大人は、自制して接していくのである
大きな愛だ
人の話を聞きなさいという人に限って
人の話を聞いていない
「わかった!」と確認する人は、「おしつけ」思考である
「わかった!」は威圧である
人は鏡
子どもも鏡なのである
人との比較が、自己卑下を根づかせ
駄目や押し付けが、自己主張を打ち消す
コントロールと自己満足で
子育てをすると毒親となる
要注意なのである