子供の心を育てる事で・・・未来が明るくなる 1 東道 明子 著
子供達は、大人の原型ではありません
子供の能力や生活態度
そして、知識 こころに 至るまで
すべて、大人の影響によって育ち人間が形成されていきます
それは、神の自然的な影響が大人 つまり人間を形成してゆくのと同じです
しかし、人間 特に大人になって一つの個性が完成された時
神の能力に似た知恵 人間独自の知恵が育ち その知恵の中に自我が育ち
自然の摂理や 法則に 叶わなくなってしまあかます
そのようにして、神の心と離れたものになってゆくのですけれど
人は、不満多く感謝の心がなくなる度合いが、多くなればなる程
自我の心も大きくなり 人は不幸せになるのです
神は、言葉をもちません
言葉を持つ時は、人の心や頭の中にある知識や言葉を使って話す事をします
しかし、神そのものには言葉はありません
そこで、神のあかしとして自然現象によって教えます
それが、法則であり 摂理によるものです
しかし、人々は言葉と言う はっきりとした 意志表示がない限り
納得しょうとはしないのです
納得はしていても自我のために それを認めようと しないのです
そして なおのこと 自我が 育ってしまいます
自然の心に 目や心が届かなくなってしまうのです
自我が、多ければ多いほど不幸せになって ゆくことに、気づかなくなってしまったのです
そこで神は、言葉によって 人間には神の心を知らせる 必要があると人の能力と
心を借りて、心の透明度の有るものに神の心を写そうと思われるのです
しかしながら、人の親子 大人と子供の場合は 言葉が通じます
また、神のそれとは違って はっきりと鮮明な姿もあります
そして、行動により話したりして理解します
子供は、親の姿や声により教育を受けます
また、人達 大人は 子供の教育してゆくには最適なはずですけど
はっきりし過ぎるために 惑わされ 誤解をうけたり 自分も誤解したりするのです
そのことで、余計に人の心を落としたりもします
子供の心を育てる事で・・・未来が明るくなる 2
しかし、全ての能力も心も態度も 大人から子供達へ 受け継がれてゆきますので
大人が 子供に対して持つ役割は 大きいと云えるのです
現代の世の中では、大人達の多くが頭脳たけを重く見つめている所がありますけれど
それは、不幸せに繋がってしまい 片寄った教育と言えるのです
その事は、神の心には反した心です
それが、自然の法則や摂理にはかなっていないからです
片寄った心 無理な心は神のところには 通じない心なのです
大きくなった子供が、区切りをつけて次の学校に進む
幼児から 幼年に そして、少年に成長して行く過程で、
今の大人達のは、成長の段階を知能によって磨くものと考えでいるようですが
乳児が幼児に成長するように 幼児が幼年に成長して行く時のように知能だけ
育つのでは駄目なのです
心や、体の働きも必要です
少年が青年に成長してゆくたむには知能だけでは いけないのです
心は元より 行動 技術 生活態度も頭 成長してゆく必要が理想と言えるのです
頭脳のみの先走りで、決して社会生活や人間てきな心や社会が成長していかないでしょう
頭でっかちの社会となり 理想郷とは言えないのです
人間一人の容姿を考えてみても 均整のとれた容姿は 美しいそのように全てが
揃って始めて素晴らしいのです
そのためには 子供も片寄った育て方ではいけないのです
頭脳ばかり 重視する人間社会も 1つ 1つ 改めていかなければなりませんが
その1つとしては、子供を育てる姿勢が最も大切な訳です
均整のとれた教育、子育てによって子供達も幸せ多く
そんな子供と接する全ての者も幸せが多いはずです
子供達は知識に沿って心も学ぶことは もちろん
体を動かす つまり働くことを 学ぶ必要があるのです
学習も「いろは」から漢字に至るまで順を追って学びますが
働くことも 幼児から 18さいに なる頃までには、大人と同じような動作が出来るように
導いてあげるのが普通でしょう
特に生活においては働きが大切です
小学生に生る頃には、自身のことは すべてできるのが普通でしょう
食事作り 後片ずけ 掃除 洗濯
これらは女性として、18さい位までには出来るように
躾ると本人も楽に出来るようになります
それは、出来るけどでなく習慣づけが大切です
その上で、できる限り他の人のお世話も出来るようになりたいものです
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男性であれば、自分のことが出来る上に
家の周りのことや社会的な働き者が必要です
共同作業など 子供の頃から 男女揃ってうまくなっているのが18才ぐらいでしょう
勉強は出来ても 生活に必要な仕事柄が欠けていると言うのは
その子供の一生涯で、必ず不幸せが来ようとします
また、思いやりは 人の心を知ると言うことになります
人の心が解る人は、努力しなくても両親の兄弟の友の協力が自然にできるでしょう
体を動かしてみて、始めて不合理がわかります
それは、知ることができるのです
その不合理を正す知恵を使うようになるのが自然な心です
もし、知識のみに終わってしまったら 人の心を知ることがてきません
そして、思いやりにも欠けてしまい 自我の意識が育ってしまいます
体験し失敗で苦い 思いをすることで人の痛み辛さも判る心育ちます
体験によって難題が生まれるからこそ 知恵と言う神の恵みが働き心が生きてきます
言葉のみで、 教えられた者は 体験でそれを感じる必要があります
それによって、始めて他の人の心を知るでしょう
そして、納得がゆくのです
神の存在は 見えなくて きこえない
しかし それは当たり前のことです
神は 人の目に見えなくて 聞こえないのが 普通です
それは 心を開き 目で見るのてもなく 耳で聞くのでもなく
心の中心で感じとらなけれは ならないのです
人は 自我のために それを感じても 心の中で否定してしまいます
そこで神は人の心や知識を借りて
その人の脳を通して声となり 姿となって現れ 人を導くのです
しかし、神の心をどんなに解いても教えても 人々は半信半疑で納得に乏しいのです
神の伝えた言葉が 自分の上に現実となって始めて 神が信じられるでしょう
実現し、目に見えて始めて貴方達が神の心を納得出きるのであれば
子供達の知識も同じなのです
理論で納得することも大切ですけれど体験することは もっと必要なのです
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頭脳は手足を使い体中で働いてこそ発達します
それが、本当の神の心に叶った進歩の仕方なのです
親として 子供を幸せにしてやりたいと思うのは常でしょう
親たち大人は 子供を逞しく 健やかに育てるためには知識に沿って 体中を動かして働き
広い世界に一人出されても また、大海原に立たされても自分の力で立ち上がれ
尚も、困っている人を助けてあげられる人間に育てなければならないでしょう
今18さいの 子供のいる大人達の中で可愛い我が子が自分の食事を自分で作り
後片付けのできる
そして、合理的な生活を営むために心を使える人になっている子供を育てている家庭は
ほとんどないでしょう
しかし そんな生活が出来るよう心がけてやるのが
大人達の勤めであり役目なのです
どんなに素晴らしい知恵や言葉でも見たり
また、知ってるだけで有る限り生活も心も改善されてゆくに乏しいのです
そして、幸せに繋がっていきません
次は、無理なく動き働くところに人間の素晴らしさが生まれ健康も、そうした中でうまれます
自我の心 片寄った心 無理な心
そして、片寄り 無理な生活の中から 生まれ育てよきます
また、 人の欠点 それは嫌なものではありません 知恵を 生むための 源です
欠点を良くしようと するところのエネルギーてあり努力のための卵です
特長は、素晴らしいものですけれど
努力なく安易に考えやすく それが、欠点と言えましょう
心を育て 良い心を養うためには欠点多い人の方が努力と言うエネルギーを多くもっています
そして、どんな心も 考え方 育て方によって
む大きく 大きく無限の広さで広がり果てしないものです
まずは、心を育て実行にうつし正しい判断をする時に子供も 大人も 心を育てることができ
神と一体となることに ふさわしい人間に育ってゆくのです
人は 生まれ育つ時から自然に神と一体化して育ちます
ただ、人はその事に気づかないのです。