テレビで、脳神経と心についての番組を
たまたま見た
そうなのだな〜って
ブッタの教えや修行の意味や
神経という感覚からの心の存在など
まぁ、そうだろうなって
考えていた事で、間違っていないという感じな論だった
いやいや
心っていう部分は
本能という部分の上にあり
それがあるから、人間としての生き方ができる
動物と人間の違いが
その心の域にあると
食べて、寝て、子孫繁栄して死ぬる動物
生活をして、社会や文化を作り生きる人間
心って重要だな
心が生まれて、人は苦に生きる事をしり
その生き方を解くのが悟り
まぁ、悟りって
特別な修行をしなくても、出来るけど
それに集中出来る環境が
信仰の場なのである
それだけで、生活出来るのだからね
逆に言えば、その世界でいくら偉くなっても
実生活で、悟りを開いている人に比べたら
修行の苦難は、浅いのかもね
食べるに困らない
寝るに困らない
お金に困らないという
恵まれた世界で
悟っても・・・というのが
僕の考えでもある
知ったような事を知識でいうけど
知識でしかないよねって
天災や人災などに巻き込まれながら
意識の部分では、同じ位置にいる巷の人間もいるのである
そんな事も思ったけど
まぁ、自分の思考の考えが間違っていないと知れた
良い番組でした
そう、心は神経の総合である思考の中にあるのだろう
思考・・・が心なのである
と思うのである