潜在的に
心のどこかに、相手への疑があると
何か、変なことがあると
疑念となり、疑いの目で見てしまうもの
北京オリンピックが
その良い例かもね
色々な判定疑惑とか
それは、通常なのかもしれないけど
国に対して、疑があるから
その判定自体も、疑に見える
誰も、判定を評価しないのは
国際的に、疑の強い国なのだろう
だって、判定する人が、中国人なのか?
それさへ、問題視されていない
判定が、疑念なら
判定した人が、誰なのか どこの国の人が判定したのか?
それを提示してからの疑惑だろうに
中国の人が、計測して判定しているなら
開催国がおかしいとそれぞれの協会が苦情を入れれば良い
各競技の協会での判定なら
開催国の問題ではないのにね
それは、問題にされないで
北京オリンピックの判定は変だとなるのは
それまでの その国の行いなのだろうね
みんなが、何か悪い事を期待している感じを受ける
そんなところで、平和の祭典ですかね・・・
そんな事を感じるのである