ふっと、気づいたのだが
絵本作りを導くやり方と
保育の現場で、子供たちの作品を導くやり方が同じだなって事
たまたま、絵本作りを教えるのも
保育の造形を教えるのもやって来て
思うのだな
なぜなら
個を見て
個を受け入れて
個を伸ばし
個を育てる
押しつけでなく
方向づけでなく
その人が、思うがまま、感じるまま
自己表現として
現すことに意味がある事だからかもね
これは、本当の意味での
絵本作りの場合
絵本作家レベルの話です
イラストが上手い
絵が上手
みんなに認められる
みんなに好かれる
そう言うレベルの話でなくてね
子供たちの絵は、天才だと言われるのは
なんの概念にも縛られることなく
自由な発想で、自由に自己満足の世界で
やれること
大人は、植え付けられた
概念と言うものを壊さないと
なかなか、それができない
相当に自分に自信が無いとね
でも、自信は自分で作るもの
これたけやったのだから
こんなにやったのだから
それが、自信にもなる
で、それをやって実らなかったから無駄なのか?という話になるが
結果有りきの話なら、無駄なのだろう
目的を果たしていない=駄目
これが、結果主義の考え方
目的を果たしていない=良い経験値
経験値は、自分の人生の宝
という思考だと
無駄にはならない
無駄、無駄でないかは、本人の考え方、捉え方なのだね
行動しなきゃ、なにも始まらない
ごもっともな言葉だよね
保育の造形
「表現」のひとつとしての造形
自己表現の出来る人間育成の為にある
そこを忘れている保育士や保育の現場が多すぎる
保育士は、先生ではない
幼稚園教諭は、先生である
その資格の厚生労働省と文部科学省の
管轄の違い
それぞれに教えるべき事、導くことに違いが有るのだけどね
個を見て
個を受け入れて
個を伸ばし
個を育てる
その柱は、絵本作りを教えるのも同じだなって思ったのでした