やりたいやりたいと思っていて
やれなかったと良く言うが
本当は、やれなかったのでなく
やらなかったのかもね
やりたいと思う心を
何かで、打ち消して
何かを理由にして
ただ、やらなかったのだ
自分を顧みて
ふっと、そんなことを思うのである
やれなかったのでなく、やらなかった
単純に生きるとか
シンプルに生きるとか
そんな本があるが
思い立ったら吉日と言う言葉もあるが
そのパワーをそのままに動いたら、
やらなかったが無くなるのかもな
失敗や後悔もあるかもしれないが
やらないより良いかもね
やらない理由に
知らないうちに植え込まれた
無駄、無理、無意味の概念
無駄なんてない
無駄は、無駄と思ったときに無駄になり
無理というのも、
やってみなきゃわからないのに、
計算で無理と決めて終わりにする事になり、結果主義的な思考だ
無意味も、何にたいして無意味なのか?
それを考えると無意味なこともない
もちろん、思いつきでなく
考えて考えた時の事
やりたいとかやってみたいと思うことって
沢山あるからね
その中でも、本当にって事はある
それをやることが大切なのかも知れない
それに対して
結果主義的な思考になると
やりたかったのにやれなかったと言う
自己弁護の言葉が出るのかもね
なんとなく
頭に浮かんだ事
「時」は、有限なり
やらなきゃ損なりかもね