日々の生活の中で自分の思う正論が
いつも、正しく
そして、通るわけではない
最近
いや、前からそんな事を感じているのだな
自分なりに熟考して
出した答えでも
相手によると
通らない事にもなるが
しかし、そこで曲げたら
自分が無くなるのだな
それを自分からしたら
不条理なのかもしれない
テレビドラマでも、そんな不条理のテーマの
ドラマが最近多いな
たまたま、観ているのがそうなのか?
99.9とか
アンナチュラルとか
終わってしまったが
おもしろく観ていた
人の義に反すること
それが、通ることを不条理と言うのかもな
その人と言うのがまた怖いところで
自分だけの時には勝手な理屈となり
その勝手な理屈も本人には正論なのかもな
何が正しくて何が間違っているのか?
その答えは
「時」と共に明確になり
そして、間違っていた方の心に
罪悪感として残る
罪悪感が残ると
いつも、後ろめたい心があるから
いつも、心が思いのだろう
罪悪感の無い人は
問題外として、相手にしなきゃ良い
そういう人は、みんなにそう思われて
孤独に生きるのかもね
正々堂々と生きるとは
後ろめたい心なんかなく生きるということかもね
自分に正直に生きる
そこが大切
暗い雨の日は
心も暗くなるな(爆)
太陽神は
こういう人間の心への影響?
人間でなく地球の生き物への影響
万物に影響するものを崇める
そこから神を見いだしたのかもな
詳しくはわからない
正確なこともわからないが
雨の日は、心が落ちるという
自然を感じて生きているのは
幸せなのだろう
気温や季節や天気に左右されずに
日々坦々と過ごしている人は
時を生きているのでなく
時を過ごしているのかもね
時を生きるか?
時を過ごすか?
ストレスの差にもなりそうだな
ストレス解放
大切だな