どんなことでも
学ぶことを
学ぶ目的だけにすると
範囲が狭くなり
そして、到達するのが難しくなる
目的が1点になるから
1点がズレてくると
意欲というものが失せるものだろう
学ぶ事を知る事、経験する事と思うと
次に次にと
前向きに進める
つまずいても、前に進めるのかもしれない
実際に、そうやって
学ぶ範囲を広げると
知る事や経験する事が強くなり
めげないのかもしれない
本気に学ぶとか
真剣に学ぶとかは
意気込みであり
やってみなきゃわからない時点での覚悟でしかない
何でも、やってみなきゃわからないもの
本気とか真剣にと言う言葉は
実は、単なる言い訳なのかもしれないな
やってみたい
やりたい
そんな心持ちだけで良いのかもしれない
やってみて駄目なのは駄目だし
面白いものは面白い
でも、それはやったからわかること
やらなきゃ、わからない
ただ、大切なのは
途中でやめない
とりあえずは、最後までやり遂げるという
意思
どんなことも、最後までやって
何かが見えるもの
完結して、何かがあるのは全てに共通なのかもしれないな
人には、チャンスを自分で潰して生きている人と思ったことを何でも挑戦して生きている人がいる
それをやって、その道で成り立たなくても
それをやり遂げた事は、意義のあるものになる
経験したのだからね
経験値に勝るものは無いのである
人は、生まれたときに
「勇気」というものを授かって生まれ
その勇気で未知の世界を歩く
たとえ、親の庇護の中でも、勇気を出さなきゃならない時がある
そして、その勇気が経験値になり
育ち、大人の道を歩いていくのだな
なんになる?
本気?
真剣?
その言葉の影に
打算や無意味や無理と言う心があるのかもしれない
お金を使うから
真剣に…でなく
楽しまなきゃ~が正解なのかもな
そして、楽しむ楽しまないは
相手でなく本人の問題
楽しくやれば、どんな事も楽しくなるのだろう
心は自分で決められるのだからね
なんとなく
ずっと変わらない生き方
してませんか?
そんなことを思う本日なり