絵本通信教育で課題が進むと
みんな、それぞれに良い絵を描いてくるようになる
が
課題という概念をなかなか破れない
色気が出てしまうようだな
うまく見せたいとか
じょうずに描きたいとか
それが、筆の伸びに影響されたり
個性が消えたりする
なかなか、難しい時期なのである
メモのように書かれてる
提出に対しての手紙の横に描かれたイラストが、いわゆるイタズラ書きが1番光ってたりして
そんなの所を見られているとは
気づかないだろうが
この人の個性は?
この人の本当の絵は?
そんな意識の目で見ていると
気づけるのだな
欲の無い絵
自由に、構えないで描いた絵
人は、自分を変えようとするときに
今までの意識の枠を越えないと変わらない
今までの意識
それが、概念
課題は、提出するものは…
採点されたり、評価されるから
たと言う概念
そうではなく
自分はこう描きたいたか
自分はこう描くとか
自分の為の課題という意識にならないと
なかなか、個性の溢れる絵は出てこないな
通塾の塾生が
絵を目の前で描く
良く人の前では描けないと言う人が居るが
その人たちは、まだ人に絵を見てもらう意識が低いのかもな
習いに来ているのだから
裸で良い
下手で良い
未熟で良い
恥もなきゃ、馬鹿にもされない
だから、僕は教えるとは言わない
導く
教えるとは、答えのあるもののこと
絵に答えはない
もし、答えがあるなら
それは、技術の教え技法の教えである
そんなのは、独学でも学べる
導きのは、元々持っているものに気づかせて
それを生かせるようにすること
無くて七癖
その癖が個性なのかもね
癖を打ち消した意識した絵より
癖を出した無意識の絵に魅力を感じるのは
そういうことかもね
そして、個性の無い人なんていないのも
事実なのだよ
気づいていないだけ
それに気づかせるのも大変なんだけどね
自分に自信がないと
個性を認めれないと言う大きな壁もあるのだな
だからこそ、自負の生まれる課題
面倒くさい課題、辛い課題もあるのである
こんなに描いたのだから
って過去の課題の提出ファイルを見せたら
何もしていないときより
自負は生まれ、それが、自分の自信となる
やることは引け目を感じなくなることなのだな
そんなことを思うのでした
今日の記事は、保存版だな
深くて良いと自画自賛(爆)