いやいや、さむくなってきた
とうとう、エアコンの暖房を入れたよ
朝晩…寒いからね
これで、紅葉が進むね
そして、暖房を入れると
室内の観葉食物が気になる
意図的に寒暖が出来るからね
ひとつの鉢が萎れかけて
あらあらと
水を差したら、復活してくれた
ギリギリのセーフだったな
もう少し、遅かったら…
生き物は繊細だな
さてさて、昔から辻褄が合う、合わない
と言う言葉があるが
もともとは、和裁
着物を仕立てる時の言葉
辻とは、道、筋
時代劇の辻切りと言う
道で待ち伏せして切る事にも使われている
褄は、着物の袂の両端
針で縫っていく運針の事が辻かな
運針が乱れて皺が寄ったりしてくると
乱れたときに直せば、少しのやり直しですむ
ところが、乱れてるのに放置して
進んでいくと皺寄せにより
褄が合わなくなる
それを人生に例えた言葉
筋が通らない生き方を辻褄が合わない
少しのズレなら最後で合わせれる
それが、辻褄を合わせるかな?
でも、どんなに合わせても皺は寄る
思考の世界で読み取れば
一目瞭然の不具合
筋道が通り
最後もピッタリと合うような生き方を
和裁に例えたのだな
どんなことも
常に顧みて、正していく
そして、褄がきれいに合う生き方を
しなさいと言うことかな?
嘘や偽りや誤魔化しは
人生の皺として、ちゃんと現れるぞ
ですね
そんな事を思った「辻褄」の自己解釈でした
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