世の中には
色々な世界
色々な思想
色々な考え
があり
人それぞれに
人それぞれの感じ方がある
そんな中で
元々は、そんなに変なことでもないのに
拒否されてしまうものもある
と
そんな事を考えて
色々と思考してみたら
そのものが嫌いなわけでなく
それを語る人を嫌いなんだと気づいた
タイトルのまま
語る人の真偽で
そのものの嫌悪が生まれるのだな
上部の良いことを語るが
実際にその人が、語ることを共わないと
全てが偽になり
偽は、信じれないから
嫌悪に変わる
嫌悪と言うのは
自己防衛でもあるからね
凄く当たり前なのに
なかなか、思いつかなかった
真実味がなければ
信用は出来ないからね
信用出来ないのに
受け入れたり、認めたり、好きにはなれないな
やはり、本当に理解して
実践して、この人が言うのだからと
思われるような人間にならないとな
言うことは立派でも、身になってない
それが、現実として目の前に居たら
そりゃ誰も信じないよね
目を見る
目は心の鏡
視線が合わないままに
自己陶酔して話すような人は
きっと上部
理想を述べてて
それに惑わされた人を利用しよう思ってるのかもね
視線と言うのは大切
本当かどうか、本当に話してるかどうかだよね
だからこそ
真偽が嫌悪に繋がるのだな
あっ、何の根拠もない思いつきです
でも、僕はそう感じるな
僕は、そう思うな~
と言うだけの
全くの個人の意見ですからね
もうひとつ
真に真が集まり
偽に偽が集まる
利用しようとする人には
逆に利用しようとする人が集まり
一緒にやろうとする人には
同志が集まる
あっ、利用しようとするのも
利用しようと言う同志だね(笑)
類は類を呼ぶだな
これも、今 流行りの
引き寄せだな
まぁ、語ることと身が同じようになるように
日々、努力しなきゃだな
そんな事をふっと思ったのであるでしょ?(爆)
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