絵の上手い下手という概念を破る
世間で言う
絵が、上手い下手ってなんだろう
それは、美術教育の世界での評価
右習い的な教育システム
今は、指導法は変わったかも知れないが
根底にある教育指針的には、変わらないから
表面の変化で、根底の変化ではないだろう
それは、教えるべき事のある世界だから仕方がない事
批判も、しないけど
それが、基本概念となり、絵の上手い下手を決めているのは確かだろう
簡単に言えば
丸は丸
四角は四角
それを描けるように・・・が、教えるべき事なのかもね
ところが、それは美術の概念
それを絵本に適用する必要はない
絵本の世界が、特別なのはそういう部分なのかもしれない
ずっと前に書いているが
世界的絵本作家(今は、古典的になり図書館と蟹しかないかな?)
ヤーノッシという絵本作家(翻訳の出版社により、ヤノシューとも書かれている)
代表的な絵本として「おばけりんご」とか「くまのザンパール」とかあるが
絵的には、下手である
本当に下手である・・・足が折れているように描かれたり
幼児画の特徴である、手前は大きく描くとか、並べて描くとか、地平線を必ず描くとか、太陽を必ず描くとか・・・そのまま維持して大人になっている
下手なのは、お墨付き
なぜなら、美術学校を退学させられたほどだ
でも、描くことが好きで、描き続け
自分の絵は、絵本という世界に向いているのではと、友達に言われ
絵本を描き・・・世界何十カ国に翻訳される絵本作家となったのである
そう、絵本は絵本の世界
幼児画の特徴のまま描ける才能は、幼児の共感を生む
自分の描く絵と同じような絵・・・行為が持てるよね
美術教育的には、下手だけど絵本の世界では、すごいと言われる絵の絵本作家は
沢山いるのである
うまい上手の世界は、逆に言うと誰でも描ける世界かもしれない
技術や技法を身につけて・・・描けば、それなりに上手いと言われる
だが、その技術や技法のために無くしていく個性もある
美術の世界でも、最終的には、技術や技法を越えた個性での勝負となるが
その勝負までに、必ず技術や技法の力量の判断がある
それが、なく
すぐに個性の勝負になれるのが絵本作家の世界なのかもしれない
絵が描けない
絵が下手
その比較している上手という概念を捨てて
自分は自分
自分の絵は自分の絵と押し通せる人が、絵本作家になるのかもね
絵本は、商品である
買ってもらえる買ってもらえないが勝負
100%との人に受け入れられなくて良い(100なんてあり得ないけどね)
共感して、気に入って、ファンになってくれた人が、買ってくれるのである
実際に自分が絵本を買うとか本を買う時を考えるとわかると思う
それが、絵本の世界、出版の世界なのである
技術・技法より
感じる絵・伝わる絵が大切
でも、描けないままでは駄目だし、下手なままでは駄目
それを作品というレベルに描ける力こそ大切なのである
何度も描ける、同じように描ける事が大切
保育園児とか、幼稚園児の幼児の作品を天才だというが
作品は天才でも、描いた子は天才ではない
なぜなら、自覚なく描いているから、二度と描けない
何度も描ける・同じように描けるとは、その世界を把握している事
自覚して、描いている事だからだ
だから、自分の決め付けている概念を破る
そうすると自由に描けるようになり、個性のある絵が描けるようになり
絵本作家の道が近くなるのだろう